余白ログ|70年以上前、山あいの村に落ちた一粒の麦/「沢谷村信仰物語」

すてぱの

こんにちは、すてぱのです。
今日は、少し古い話を書きます。
でも、古いだけじゃなくて、いま読んでも胸が熱くなる話です。

先日、高橋先生が郵送で送ってくださいました。香登教会の機関誌に連載されていた「沢谷村信仰ものがたり」です。

舞台になっているのは、いまから70年以上前の島根の山あいの村、沢谷村。沢谷川に沿って家々が点在する、細長い小さな村でした。そこに、どのようにして福音が届き、教会が起こされ、会堂が建てられ、さらに献身者まで生み出されていったのか――その歩みが、ていねいに記されています。

すてぱのとさいとうさん

さいとうさん: 教会史って大事だけど、読む前はちょっと固く感じることあるよね。
すてぱの: うん。でも今回は“情報”というより“証し”だった。
さいとうさん: ああ、それなら読みたい。
すてぱの: しかも、ちゃんと胸が熱くなるやつです。

目次

沢谷村という場所

沢谷村は、昔「沢谷三里」と言われた、十キロ余りの細長い小村でした。沢谷川の渓流に沿って両側に人家が点在し、二千人余りが暮らしていたと記されています。近くには石見銀山や三瓶山があり、三つの神社と五つの寺を持つ、山あいの静かな村でした。

こういう場所に福音が入っていく時、都会のようにはいかない。大きな集会場があるわけでもないし、「ちょっと行ってみようかな」で人が動くわけでもない。でも、そのぶん、いったん福音が根を下ろすと、生活の中に深くしみ込んでいく。沢谷の物語は、まさにそういう始まり方をしています。

沢谷村の全景

最初の福音の使者は、湯治に来た人だった

沢谷の村はずれには、昔から火傷や切り傷に効くと知られた千原温泉がありました。その温泉に、広島県東城の方から瀬尾貫太郎という人が皮膚病の湯治に訪れ、半年ほど滞在したと伝えられています。この人が熱心なクリスチャンであり、沢谷村の最初の福音の使者となりました。

ある日、瀬尾さんが村の近くで荷物のことで困っていた時、親切に宿の世話をしてくれたのが高橋家でした。その一夜の宿がきっかけで、瀬尾さんは高橋家と親しくなり、この村で最初の福音の証しを残した人として語り継がれるようになります。

ここ、ぼくはすごく好きです。福音の始まりって、案外こういうものかもしれない。大きな集会じゃない。有名な伝道者でもない。まずは、困っていた人が宿を与えられる。その親切の中から、福音が入ってくる。

小さな始まり

さいとうさん: 神様の始め方って、だいたい静かだね。
すてぱの: うん。でも静かな始まりって、あとで思うとすごく強い。

第二の福音の使者、時枝スミ子さん

瀬尾さんに次いで、沢谷村に福音をもたらした第二の使者が、時枝スミ子さんでした。広島県布野村出身で、戦争のさなかに思いがけない不自由を経験しながらも、主に導かれて沢谷へ来たと記されています。

時枝さんは保健婦として村に住み込み、体の弱い人や貧しい家の人々に親しく仕えました。健康を気づかい、訪ね、相談に乗り、必要な助けを惜しまなかった。その働きによって、村人たちの信頼が少しずつ築かれ、福音を受け入れる土壌が耕されていきます。

ここで大事なのは、福音がまず「ことば」だけでなく「仕える姿」として村に根を下ろしたことです。いきなり「信じてください」ではない。まず、痛みのそばに立つ。必要のある人のところへ行く。そして、その生活のあとに、ことばが続く。

夜の集会が始まる

時枝さんは、本田弘慈先生に相談して、昭和23年3月18日から自宅で夜の集会を始めました。当初は六日間の予定でしたが、本田先生に急な都合ができ、代わって加古川から橋本先生が来られることになります。まだ神学生だった橋本先生のために、時枝さんは以前から祈っていたとも記されています。

そして始まった集会には、日ごとに人が集まりました。部屋に入りきれず、庭にまであふれるほどになり、六日間の予定は八日間に延長されます。その中で橋本先生は、自らの体験も交えながら十字架の恵みを語り、人々の心を深く動かしました。

ここを読むと、ぼくは少し胸が熱くなります。だって、「田舎だから人が来ない」じゃなかった。むしろ、人々は待っていたんです。まだ知らなかっただけで、ほんとうに必要なことばを。

待っていた言葉

さいとうさん: 福音って、押しつけられるものじゃなくて、“やっと聞けた”になる時があるよね。
すてぱの: うん。沢谷は、まさにそういう感じがする。

夜の集会

高橋虎夫青年の回心

この連続集会の中で、高橋虎夫青年が主に立ち返ります。彼はすでに心の内に空しさや罪の自覚を覚え始めていましたが、橋本先生の説教を通して、天地の造り主なる神、人間の罪、そして独り子イエス・キリストの十字架の贖いが、自分に向かって語られていると感じます。

その夜、彼は外へ出て祈り、子どもの頃からの罪を思い起こしながら心から悔い改めました。月に照らされた雪山が神々しく見えたという証しは、この回心の夜を象徴する印象的な記述として残されています。

この「月に照らされた雪山」のくだり、いいんです。証しって、ただ「信じました」だけじゃない。その夜の風景ごと残る。神様に捕まえられた夜って、景色まで記憶に刻まれるんだなと思わされます。

集会のあとに、本当の働きが始まる

でも、この物語が本当にすごいのは、集会が終わったあとです。時枝さんは、決心者たちをそのままにせず、祈り、訪ね、励まし、御言葉へと導き続けました。高橋青年は「これからあなたも、人々に神様のお話をする人になりなさい」と励まされ、自宅で家庭集会を始めるようになります。

福音は、「決心しました」で終わらない。育てられ、支えられ、根を張っていく。この粘り強さがあるから、あとで沢谷の群れは洗礼へ、会堂建築へ、献身へと進んでいくんだと思います。

洗礼、教会の誕生、そして試練

やがて沢谷の群れは、江の川のほとりで二十八人が洗礼を受けるところまで進みます。秋も深く水は冷たかったけれど、受洗者たちは喜びと覚悟をもって一人ずつ川へ入ったと記されています。地方では珍しい大きな出来事でした。

さらに、三浦清重青年の救いと献身も、この群れにとって大きな励ましとなっていきます。

でも、群れが生まれると、すぐに試練も来ます。時枝さんの病。離村する人々。生活の重さ。それでも「この地に教会を建てたい」という祈りは消えませんでした。むしろ、試練の中でその願いは群れ全体の祈りとして強くなっていったのです。

土地取得と、現実の重さ

会堂建築に向かう道のりは、祈りだけでは済みませんでした。土地取得には農地委員会や国の許可など、多くの手続きが必要でした。しかし、神様の守りと、様々な助けを経て、道は開かれていった。

ここを読むと、教会建築って昔も今も変わらないなと思います。信仰だけでは建たない。でも事務だけでも建たない。祈りと現実処理の両方が必要なんです。

祈りと現実処理

さいとうさん: 昔も今も、そこは同じだね。
すてぱの: うん。神学だけでも建たないし、書類だけでも建たない。

夜間作業、そして山にこだまする賛美

建築資金を得るために始まったのが夜間作業でした。昼はそれぞれの本業を続け、夜は木材や薪を運び、川原から石を運び、地面をならし、突き固める。そうした働きが、年中無休のような忙しさの中で四年近く続いたと記されています。

でも高橋先生は、これを単なる苦労話としては書いていません。月夜の山を見上げながら、何気なく歌った讃美歌が谷間にこだまして返ってきた。その響きの中で、主の慰めを覚えた、と記しています。まるで自然界までもが神をほめたたえているように感じられたのです。

ここ、ほんとうに美しい。夜業で疲れているはずなのに、その疲れの中で賛美が返ってくる。教会って、こういう瞬間に支えられるんだなと思います。

夜間作業の材木運び出し

死を覚悟して、時枝さんは沢谷へ戻る

一方で、時枝さんの体は弱っていました。喀血し、衰弱し、再び倒れるかもしれない。それでも彼女は、主が沢谷のためになしておられる働きを見捨てることができませんでした。体調が悪ければ途中下車してでも帰る、その覚悟で夜行列車に乗って沢谷へ向かったとあります。

この記述は軽く読めません。「行けたら行く」じゃない。「死ぬかもしれないけど、それでも行く」です。ここまで人を動かすのは、責任感だけじゃない。主への愛と、沢谷への愛です。

献堂式、そして「一粒の麦」

昭和28年9月3日、ついに献堂式が行われました。司式は尾上聖愛教会の橋本義光先生。沢谷の教育長や有志、近隣の人々も加わり、会堂は満堂となりました。主の豊かな臨在の中で、深い感謝をもって祈りと賛美がささげられたと記されています。

そして、この時に強く重ねられたのが、「一粒の麦は地に落ちて死ななければ」というみことばでした。この沢谷の歴史を読むと、たしかにそう思うんです。これはただ「村に教会ができた話」じゃない。一粒の麦が落ちて、死んで、そして多くの実を結んだ話です。

最後まで沢谷を愛した人

とくに、それを体現しているのが時枝スミ子さんでした。やがて彼女の体調は再び悪化しますが、教会学校の子どもたちが見舞いに来た時、彼女は一人ひとりの手を握り、「イエス様を信じて神様に喜ばれる人になってください」と祈ったと記されています。

そして最後には、「お先にイエス様のところへ行かせていただきます」と穏やかに語りつつ、主にあって召されていきました。彼女の墓地は、教会を見下ろせる高台に定められました。生前お世話になった人々が村へ帰って来ることもあり、彼女の働きは死後なお語り継がれていったのです。静かだけど、重い。そして、とても美しい終わり方です。

高台から教会を見下ろす風景

さいとうさんへ

さいとうさん、これ、ただの教会史じゃないね。福音がどう届くか。教会がどう建つか。一人の姉妹の祈りと苦しみが、どう実を結ぶか。その全部が入ってる。

さいとうさん: うん……昔の記録なのに、“いま教会が教会であるってどういうことか”を問われる感じがした。
すてぱの: それ。ぼくも同じ。

沢谷村信仰ものがたりは、山あいの小さな村の話です。でも、小さいのに大きい。静かに始まり、仕えることで根を張り、祈りと汗で会堂を建て、最後には「一粒の麦」の話になる。こういう記録は、いまの教会にも必要です。効率や派手さではなく、主がどうやって群れを建てられるかを思い出させてくれるから。

きょうの余白

福音は、熱心なことばだけで始まるんじゃない。宿を貸すこと。病む人に寄り添うこと。夜に木を運ぶこと。そして、倒れそうでもなお村を愛すること。主はそういうもの全部を通して、一つの村に教会を建てられる。

きょうのみことば

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一つのままです。
しかし、死ねば、豊かな実を結びます。」
ヨハネの福音書 12章24節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

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