それぞれへの祝福

昨夜はいつも通り「聖書の夕べ」でした。
普段なら牧師室に数人が集い、Zoom上にはさらに大勢が集い、心ひとつに聖書に向かう時間です。

でも、昨夜はあらゆる面で違っていたのです。
牧師室は海外からの青年たちに占拠されています。彼らは聖書の夕べに合流するはずでしたが、晩御飯が終わるのが間に合わず、さらに一人帰国する青年がいるので、アイスクリームを食べに出かけたいと言い出しました。

また、いつも参加するUCの青年たちもタイに旅行に出かけて不在です。もう二人は山梨に出かけるのですが、こちらは車中から聞き専で参加。

と思えば、スウェーデンから帰省してこっちに泊まってる15歳のミンナちゃんは自分は聖書の時間に出たいとのこと。

ということで、私は牧師室の隣の和室で、ミンナちゃんと二人でZoomに参加し、隣から全然出かける雰囲気もなくまだ盛り上がっている海外の若者たちの笑い声が響いてくる、という状態だったのです。

ところがミンナちゃんは、集中してヨハネの福音書を味わい、深いコメントをしてZoomに集う大人たちを驚かせてくれました。

私は何だがすべてが心地よかったのです。
それぞれの時間があり、それぞれの祝福がある。神様はバリエーション豊かにみんなを恵まれる方なのだ、と。
日本では、多くの場合、「同じ時間」「同じ場所」「同じ行動」が良しとされます。その良さももちろんあるけれど、同時にそれは教会の豊かさを損ないかねません。

何カ国もの文化が混じり合う不思議な時間と空間の中で、頭がマッサージされている気分でした。
そして、それが心地よく、もっと大きく神様にゆだねたらいいのねーと学ばされています。

Psa 117:1

すべての国々よ 主をほめたたえよ。
すべての国民よ 主をほめ歌え。

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