
スウェーデンから連絡がありました。キュロスのおやっさんが天に帰った、と。
キュロスとは20年前に、ブロンイェという美しい小さな島で会いました。
私がイェランという伝道者とスウェーデン国内の宣教旅行をしていた時のことです。
旅の日記に、彼のことが何度も出てきます。
ブロンイェーは島全体にのびやかな雰囲気があり、キュロス・ヨランというクリスチャンのおやっさんがいろいろと世話をしてくれました。しかし、フィーカをしている時、携帯電話で、「今日の夜、伝道集会があるんだ。こないか?イェランとヤポンスカ(日本人)が来てるぞ」と電話をかけまくるのにはびっくりしました。普通は、もっと前に誘うものだと思います。
イェランが「で、プログラムは?」と聴くと「決まってないぞ」とのこと。あまりののんびりさに、こちらも肩の力が抜けたことでした。 (2006/6/8)





キュロスの船で、ブリンゲルソン師をヘーネ島まで送ることになったのですが、それからさらに、別の島へクロスがソファーをもらいに行くのにつき合わされました。
イェランと共に力仕事をしたわけです。ボートの中で気づくと、外が暗くなってきました。もう11時を回っているのです。薄暗い水平線にぼんやりと島影が見えます。
暗い船内で、いかにも船乗りと言ったキュロスがイェランとスウェーデン語で話し合っているのをぼんやり聴きながら、まさか私がこんなところでこんなことをしているとは、誰も思わないだろうな、と考えたことでした。 (2006/6/8)
・・・それから例によってキュロスの用事に付き合います。今日はカーペットを船で運びました。
キュロスは、ブロンイェーでお店を経営し、タンカーを所有し、色々なビジネスを手がけ、島ではかなりの有力者であることが分かってきました。私の観察によれば、彼は起きている時間の少なくとも四分の一日は携帯電話で話しながら何かをしています。そして四分の一は機嫌よく賛美歌を歌っています。 (2006/6/9)

ブロンイェーは美しい小さな島で、そこには小さな教会があります。
キュロスは、その島を愛し、教会を愛していました。
この時の夜の集会のことを私は生涯忘れないでしょう。

集会が終わり、ドンセ島にキュロスのボートでヨハンを見送り、ある方のお宅で夕食を食べ、そしてイェランとしゃべってから、それから日記を書いています。
今日の集会では私が説教をしました。
第二コリント9:10より語りました。
イェランのスピーチとヨハンの音楽で、人々のこころはみことばに向き、ヨナソン師の通訳は、完璧以上でした。プロフェッショナルなサポートの中で、のびのびと語らせてもらいました。
昨日よりもずっと多くの(といっても30人ほどでしたが)人たちが来ていました。
ある方は、ボートで別の島からも来られたとのことでした。
集会後、確かにみことばが伝わった手ごたえがありました。
役員達が来て、涙ながらに私のために祝福を祈りたいと言って来てくれました。
母国から8500km離れた小さな島で、島のクリスチャンたちと感動を分かち合い、喜びあうのが、何か不思議な気分でした。
変な例えですが、寅さんにでもなったような気分です。
でも、スウェーデンの宣教師たちもきっとこんな気分で日々を過ごしたのだという思いもします。貴重な体験です。 (2006/6/9)
後から、キュロスからお土産に、と「フィスケモース」なるハンドメイドの原寸大の海鳥の瀬戸物をもらいました。どうやって持って帰ればいいのでしょう・・・。(2006/6/10)

あれから20年、キュロスとは会っていません。でも、彼はフェイスブックで私を見つけてくれ、一年に何度もメッセージを送ってくれました。
英語が得意ではないので、私と同じくらい下手な英語でコメントしてきたり、あるいはスウェーデン語で「祝福を!ブロンイェより。」みたいな短いメッセージをくれました。
最後のやりとりで私は、ブロンイェにもう一回行きたいな、というようなことを送りました。来年もしかしたらチャンスがありそうだったからです。
でも、キュロスは先に天に帰りました。
いつも忙しく携帯電話で話しながら、海をわたっていた陽気な船長。
最後の航海を終えて、一番大好きなイエス様のところに帰ったのですね。
友よ、数日間の付き合いだったけれど、あなたは私の大切な友です。
あなたと過ごした島の教会の日々は、私の大きな思い出です。
ずっと祈ってくれてありがとう、天国からも祈ってくれるんだよね、きっと。
キュロス、ありがとう。
こうして一行は、湖の向こう岸・・・に着いた。

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