一宮教会の長期出張の最終の日曜日でした。
礼拝の後、一人の信徒さんがそっと近づいて来られました。
「素晴らしい説教でした・・でも・・」
そして、自分の、いや自分たちの問題を告白なさいました。
涙が頬をつたっていました。
「私達は、変われるでしょうか・・」と、その方はおっしゃいました。
でも、すでに変わり始めているからこそ、今涙を流されているのだと思いました。
みことばの種が届くとき、時として人は涙を流します。その涙は悲しみから生まれているのかもしれません。でも、その涙と種が出会うとき、新しい芽生えが生まれるのです。
わたしはみことばを信じます。
わたしは教会を信じます。
イザヤ43:19
見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。
あなたがたは、それを知らないのか。
必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。
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