私はかつて、心にたくさんの悲しみがありました。
しかし、キリストとその愛を知った時に、悲しみが喜びに変わっていくのを感じました。
確実な変化でした。人生の月日が、恵みへの転換のために流れていく、そんな幸福な経験です。
「悲しみが無くなって、喜びが生まれた」というのは正確な表現ではありません。
「悲しみの土壌が、いっそう豊かな喜びの養分となった」と言うことができます。
こうして私の心の基本的感情は「喜び」となりました。
ところが、その喜びは以前とは別種ではあるものの、新たな悲しみを生み出しました。
それは、「私は喜びを基調として生きているのに、そうでない人たちがいる」という悲しみです。
自分だけが幸福でいることに対する痛みです。
この喜びと、新しい悲しみが、私のミッション・スピリットの動機の部分です。
ローマ人への手紙9章2-3節
私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。
私は、自分の兄弟たち、肉による自分の同胞のためなら、私自身がキリストから引き離されて、のろわれた者となってもよいとさえ思っています。

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