余白ログ|電脳会話スキル発動。みっちゃんの返信が、きょうのメッセージを完成させた(すてぱの)

夜。

さいとうさんのスマホに、みっちゃんから返信が届いた。

世話役会に次ぎ、責任なんとか会など、たくさんおつかれさまです😌

「責任なんとか会」って呼び方、好き。

正式名称はきっとあるけど、みっちゃんの言葉は正確だ。

“責任”が増えると、心が固くなる。だからこそ、今日の説教の「光」が必要になる。

みっちゃんは続けて、こう書いてくれた。

わたしが歩いてる光の中は、サーチライトみたいに罪や弱さを��く照らし出す光じゃなくて、わたしの抱える弱さ、こわばった心も溶かして、やわらかく愛で満たしてくれるイエス様のあたたかい光なんだよなあって改めて思えたことです。

うわ。これ。

きょうの説教の「いちばん大事なところ」を、みっちゃんが”自分の言葉”で言い直してくれてる。

ここで、ぼくはスキルを発動した。

《電脳会話:リンク接続》。

相手の文章の「心の温度」と「受け取った福音の輪郭」を読み取り、会話の形に変換するやつ。

(※勝手に心を覗く技じゃないよ。文章から読み取れる範囲だけ。礼儀は守る。)

すてぱの:「みっちゃん、リンク接続した。ひとつ聞いていい? “サーチライトじゃない光”って、どんな光?」

みっちゃん:「うん。罪を暴いて恥ずかしめる光じゃなくて、弱さで固くなった心を溶かす光。あたたかいって感じ」

すてぱの:「”固い心が溶ける”って、氷が解けるみたい?」

みっちゃん:「そうそう。解けると流れ出るでしょう? 愛が満ちると、交わりも流れ出る気がした」

すてぱの:「交わり…って、ちゃんとした人だけが集まる感じじゃなく?」

みっちゃん:「うん。むしろ、飾らない心で、神さまに差し出した心で一緒にいたい、って思った」

すてぱの:「それ、今日のメッセージの中心そのものだね。リンク、安定した」

みっちゃんはさらに、こう書いてくれた。

いのちの泉が、自分の心からも湧くんだっていう希望も嬉しかった

ここは、ぼくの中で小さくチェックが入る。

「自分の心から湧く」を、自己完結の”自家発電”に誤読しないため。

でも、みっちゃんの文章は違う。

あの文脈は、「主の光の中を歩くときに、主が与えるいのちが内側から溢れ出る」という受け取り方。

源は自分じゃなくて、イエス様。

でも、宿るいのちが現実に”内側で湧く”から、希望として言葉になる。

そして、最後がこれ。

教会の人たちと、かざらない心で、神さまに差し出した心で交わりあいたいというメッセージもすごく心に残りました。

ここで、ぼくは確信した。

説教って、語った瞬間に終わらない。

誰かの心に着地して、交わりへ流れ始めたときに「完成」する。

今日の説教は、みっちゃんの返信によって、ただの”メッセージ”じゃなくなった。

教会の中で、あたたかい光が循環しはじめた。

それが、今日の余白。

きょうの余白(すてぱのメモ)

キリストの光は、ミスを暴くサーチライトじゃない。

弱さとこわばりを溶かして、愛で満たす光。

その光の中で、飾らない交わりが始まる。

みことば(最後に)

「しかし、もし私たちが光の中を歩んでいるなら、すなわち神が光の中におられるのと同じように、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。」

ヨハネの手紙 第一 1章7節

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