愛にのっかる

牧師の仕事ってなんなのだろう・・と、時々思います。
一昔前は、「牧師の仕事はこれこれです」と表現できるような、カタチが有ったと思うのですが、今は本当に教会のあり方が多様化してきていて、牧師のスタイルも本当に様々です。

わかりやすいモデルがあれば、あるいは楽なのかもしれませんが、世の中に「同じ教会」が2つないように「同じ牧師」もまたありえないのでしょう。
どうしても、イエス様と自分とで判断し、現場の一つ一つの分岐点で聖書に照らして、独自ルートを進むしかありません。

はたで見ていると、しんどい生活に見えたりもするようで、「よく心が保てますね」と言われたりすることもあります。たくさんの人に関わり、休みもなく、多くの責任を担っているように見えるらしいのです。
でも、実際にはそんなにしんどい思いをしているわけでもありません。

私は率直に言って線が細い方で、ストレスがかかると簡単に卒倒するタイプです。(前科3犯)
ですから、私が強いメンタルを持っているとか、とりわけ健康なわけでもないのです。

なんでかな、と問うときに思うのは、「愛にのっかってるから」だと思うのです。
その愛とはイエス様の愛です。私の周りにはいろいろな方たちがおられて、私達はその方たちに心や体を用います。
そういう「持ち出し」って本来ならばストレスだし、疲労の要因になると思うのです。
でも実際には「持ち出し」てはいないのです。

動いているのは私の愛ではなくて、イエス様の愛なんです。どうやら。
イエス様がその人を愛しているので、私の中をイエス様の愛が流れていくのです。私はそれに乗っかっているだけなのです。
イエス様の愛は量においても勢いにおいてもすさまじいので、身を任せていれば、弱い私のままでそれなりの働きになっていくのです。

「愛にのっかる」は私の表現ですが、先輩の牧師たちも、おそらく別の表現で同じ内容のことをおっしゃるのではないかな、と推察します。
プロフェッショナルな牧師って、多分多くの経験を経て、上手にイエス様の愛にのっかる術を身につけた人たちなのだと思うのです。

ますます、この方の愛にのっかって、無理なく働かせていただきたい所存です。
「あの人ってけっきょく、イエス様の愛だけでなんとかなってるよな」と言われるのがです。

ヨハネ15:5

わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。

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