今日も自転車で一宮教会へ。
いつも何かしらの発見があるのです。

この形状の「現役」の井戸、初めて見たよ。
快適サイクリングで20分ほどで到着♪
そう言えば、明日は吉備の仲間たちと自転車で一宮ツアーになりましたよ。楽しみーー。


次週の説教題が貼られていました。
いつ見てもカッコイイ・・。
さて、今日は祈祷会があったわけですが、そんな中で印象的なやり取りがあありました。
信徒さんのお一人(と言っても参加者はお二人ですが)が、「吉備教会との未来について、いつも心をよぎる不安があるのです」と告白されたのです。



え?
あらま、なんでしょう、と次の言葉を待ちました。
「本当に今の状態を感謝しているんです。私たちは力を持たず、だんだんと色んなことができなくなりましたが、4月からは吉備教会との新しい関係の中で、とても助けられています。でも・・」
そして、こう言われたのです。「私たちはどのような形で吉備教会と一つになるのでしょう。このままでは、吉備教会に迷惑をかけることになりはしないでしょうか・・」と。
教会の大小や優劣は無い、神様の前では同じキリストの体、そういうことは頭では分かっていても、やはり申し訳なく、心が責められる・・。
正直なお気持ちをおっしゃってくださっているなぁ、と思ったことでした。
もちろん、「そんなことは微塵も思う必要はありませんよーー。」とお答えしましたが、きっとこのやりとりはしばらく繰り返されるのだろうな、と思いました。
援助をする側にも愛が必要ですが、受け取る側にも愛が必要ですね。
そして、私自身も思うのです。
どこかで、神様からの無限の愛に、遠慮したり、申し訳なさを感じたりはしてないだろうか、と。
だれに対しても、何の借りもあってはいけません。
ただし、互いに愛し合うことは別です。他の人を愛する者は、律法の要求を満たしているのです。


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