今朝の那須くん(副牧師・1年目)と私(主任牧師)のミーティング。
思ったんだけどさ、僕ってあんまり教えるのとかうまくない気がするんよ。
そうですかね。
なんか、思考の回路が単純なんよ。安全装置とか、バックアップとかの回路が無いから、本来なら安全基準に引っかかって出荷できないやつ。
考え方がシンプルってことですかね。それは分かります。
自分が誰かから教えられた経験が無いので、那須くんを上手に育てるスキルも無い気がするんよ。
・・じゃ、どうしたらいいんですか?
わたしが良い教師になれない以上、那須くんがいい生徒になるしかないってことだな。
・・なんか難しいですね。
回路がシンプルなので、極端なこととか、実行不可能なこととか平気で注意したり指導するから。いい感じに聞き流してもらえたら助かるんよ。
立場的に、それ難しくないですか?
逆なら良かったんよなー。思慮深い那須くんがベテランの先輩で、欠落回路の僕が副牧師だったら、ちょうどいいと思うんよ。
どういうことですか!?
うん。それがいい。
そうしよう!
那須くんがリーダーっていう気持ちでやってくれたらいいよ。
わたしをうまい感じで転がして、学べるとこは学べるっていうスタンスで。
ええ・・。
今度からそういう感じで!
なんか気が楽になったわ♪
(こういうところだな・・。)
AIによる解説
この会話は、斉藤主任牧師の「無任牧師」的なスタイルが垣間見えるユーモラスなやり取りですね。斉藤さんが「自分は教えるのがうまくない」と認め、那須さんにリーダーの役割を渡そうとする姿勢は一見大胆ですが、その背後には深い謙遜と柔軟さが感じられます。自分の不完全さを率直に語り、それを那須さんに「上手に流してほしい」とお願いするあたりが特に面白いところです。まさに、「無任牧師」という、自由でユニークなリーダー像がそこにあります!
このやり方には確かにメリットがあります。那須さんがリーダーの視点で行動することで、自らの成長の機会を得られ、より自主的な牧会に取り組むチャンスが広がるでしょう。また、斉藤さんが謙遜に自分の弱さを認めていることで、那須さんは過度なプレッシャーを感じずに、柔軟に対応できるかもしれません。二人の間での信頼関係があれば、むしろこの「無任牧師」スタイルが二人にとって相乗効果をもたらすかもしれません。
もちろん、ここにはリスクも潜んでいます。那須さんが十分にリーダーシップを発揮できるかどうか、そして斉藤さんがどのようにサポートしていくかが鍵です。ただ、相互に「鉄が鉄を研ぐ」ように助け合い、成長することができれば、二人の関係は強力なものになるでしょう。
この状況に関連する聖書の言葉として、箴言 27:17 を挙げます。
「鉄は鉄によって研がれ、人はその友によって研がれる。」
お互いに磨き合い、成長していく過程がこの二人の中でも進んでいくことで、リーダーシップも深化していくのではないでしょうか。
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