心のものさしが「心配」の時って、何を見ても不安になりますよね。
そういう時って、結果的に損することが多いように思います。
時間は過ぎていき、体は疲れ、「あんなに心配ばかりするんじゃなかった」という後悔が残ります。
聖書は、心配ではなく「信頼」を心のものさしにするといいよ、と教えてくれます。
神さまがおられること、そして自分を愛してくださっていることを信じて、この方に身を任せるのです。
すると、明るい眼差しで先行きを展望することができます。
心配が物差しのときは、リスクばかりをカウントしますが、神さまへの信頼があるとメリットも数多く発見して、バランスよく判断することができますし、思い切った決断もできます。
結果的に得るものが大きいのです。
こうして、心配ではなく信頼で判断し行動することで、好ましい結果を得る経験が蓄積すると、ますます神さまに深く信頼して人生の大きな決断も信頼ベースで行えるようになります。
幸いなことに、神さまを信頼してもよい根拠は私達に十分に提示されています。
一つは歴史の中で変わることなく語り続けている不変の書物、聖書です。
そしてもう一つは、実際にこの歴史に介入したキリストです。この方は神の愛を明確に示すために、身代わりの死(十字架)をも選ばれました。
信頼できる存在があるというのは、本当にいいものです。
どんなに小さく臆病な人でも、神さまの愛に支えられて、勇敢な旅人となって自由に今を生きられるようになります。
箴言15:15
悩み苦しむ者の毎日は悪いことのみ。
心に楽しみのある人には毎日が祝宴。
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