私は幸せな牧師です。
信頼されてるな・・とか、愛されてるな、、ということをよく感じます。
ですから、「あなたのタイトル(肩書)は?」と聞かれたら、胸を張って言うでしょう。
「はい。ユナイティング・チャーチの牧師です」と。
けれど、実は私にはもっと自慢できるタイトルがあります。
それは「キリストのしもべ」あるいは「神の子」、もしくは「赦された罪人」です。
どれも神様と私との特別な関係を表す表現です。
この表現の一つ一つの背後には、人生における忘れられない神様との出来事があります。
私は、神の愛によって見つけ出され、愛で満たされ、罪赦されたからこそ、今ここに生きています。
なので、やはり誇るなら、こういった「神様とのつながり」を誇りとしたいのです。
それ以外のタイトルは、幸いなオマケなのです。
いつか、私がこの地上で持っているいろいろな肩書が取り去られる時がくるでしょう。
その時にはきっと喪失や焦りがあるのかもしれません。
けれど私は最後にはニッコリと笑うと思うのです。
だって、一番うれしい肩書は無くならないからです。
いつまでも私は、「キリストのしもべ」であり「神の子」であり、「赦された罪人」なのです。
ガラテヤ1章1節
人々から出たのではなく、人間を通してでもなく、
イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によって、
使徒とされたパウロ・・・
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