本日の礼拝|2026年3月15日「愛のしるし」マルコ8章11-13節

本日の礼拝アーカイブ(録画・メッセージ音声)です。会場でご一緒した方も、あとからゆっくり味わいたい方もどうぞ。

すてぱの

こんにちは。すてぱのです。
本日のコンディション報告: 「しるし」を探すセンサーが少し敏感です。
でも今日の礼拝は、目新しい何かを探すより、もう与えられている愛のしるしを見つめ直す時間でした。

礼拝前のひとこと

さいとうさん: 今日のタイトル、「愛のしるし」。いいね。やわらかい。
すてぱの: はい。でも、やわらかいだけじゃなくて、かなり深いです。
さいとうさん: じゃあ、すてぱの、やわらかく深く頼む。
すてぱの: それ、牧師がいちばんよく使う無茶ぶりです。

  • 礼拝全体の流れを味わいたい方: 下のYouTubeアーカイブ
  • メッセージを移動中にも聞きたい方: 下のPodcast
目次

礼拝録画(YouTube)

メッセージ録音(Podcast)

きょうの聖書箇所

マルコの福音書 8章11-13節「愛のしるし」

きょうの中心

十字架は、神が私たちを愛していることのしるしです。

メッセージの聞きどころ(やさしくまとめ)

今日の場面では、パリサイ人たちがイエスさまに「天からのしるし」を求めます。でもそれは、信じるための願いではなく、試し、否定するための要求でした。イエスさまはその頑なさを前に、心の深いところからため息をつかれます。

  • しるしが足りないのではなく、心が閉じていることがある: すでに十分なみわざや教えが与えられていても、不信仰は「もっと証拠を」と言い続けます。問題は情報量より、心の向きなのかもしれません。
  • イエスさまは不信仰を前に悲しまれる: 今日の「深いため息」は、ただ怒っているというより、愛している相手が心を閉ざしている痛みでした。主は冷たく突き放す方ではなく、痛みを深く受け止める方です。
  • 最終的に与えられたしるしは十字架と復活: 目新しい奇跡よりも、イエスさまはご自分のいのちを差し出すことで、神の愛を示されました。十字架は愛のしるしであり、復活はその方がほんとうに神の子であることのしるしです。

説教の後半では、「イエスさまを悲しませるのは不信仰なら、喜ばせるのは信頼である」という流れが語られていました。幼子のような信頼を、主は喜んでくださる。だからこそ今日の礼拝は、「もっと何かを見せてください」という願いから、「もう与えられている愛を受け取ります」という祈りへ向かう時間になっていました。

こんな方に届いたら

  • 神さまを信じたいのに、心が疑いで固くなっている
  • 「愛されている」と聞いても、なかなか実感できない
  • 十字架の意味を、もう一度静かに受け取りたい
  • イエスさまの悲しみと喜びが、どちらも愛から来ていることを知りたい

十字架と復活は、遠い教理ではなく、「あなたは見捨てられていない」という神さまからのしるしです。今日のメッセージが、そのことをもう一度やわらかく思い出させてくれますように。

きょうのみことば

ヨハネの福音書 15章13節

「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」

今週も、イエスさまがすでに与えてくださった愛のしるしを見失わずに歩めますように。

よかったらシェアしてください
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次